18世紀にイギリスの使節団が清朝に訪れた際、馬戛爾尼(ジョージ・マキャートニー)は乾隆帝への贈り物を準備していましたが、その過程で現地の官僚に対する配慮も必要だと感じました。このエピソードは、外交における礼儀や配慮の重要性を示す一例です。この記事では、馬戛爾尼がどのようにして清朝の官僚に贈るための品物を準備したのか、またその過程について詳しく解説します。
馬戛爾尼の苦悩と清朝への贈り物の準備
馬戛爾尼は、清朝皇帝乾隆帝への贈り物を手配している際、ただ乾隆帝だけではなく、下級官僚への贈り物の準備も重要だと感じました。彼は最初、乾隆帝に送るために特別に準備された品物をインディアンスターン号の船に保管していたものの、上級の皇帝だけでなく下級官にも何か贈らなければならないという現実に直面しました。
そこで、馬戛爾尼は再びインディアンスターン号に足を運び、箱からさらに小物を取り出し、準備を整えました。しかし、乾隆帝への贈り物が非常に高い格を持つものであったため、その品を下級官に送るわけにはいかないと考えました。
乾隆帝に対する贈り物と小官への配慮
馬戛爾尼は、乾隆帝に対する贈り物が非常に格式の高いものであったことから、小官にはそれと同じ格の品物を贈ることは不適切だと感じました。彼は、乾隆帝への贈り物の一部が公式なものであり、そのまま小官に送るのは失礼にあたることを理解していました。したがって、彼は一部の品物を他の目的で使用するために別に取り分けることにしたのです。
このように、馬戛爾尼は清朝皇帝とその下級官に対して、それぞれにふさわしい品物を贈るために工夫を凝らしていました。贈り物に対する礼儀や配慮が、外交において重要な役割を果たすことを物語っています。
馬戛爾尼の日記と食物の供給
7月31日、馬戛爾尼は日記に「中午的時候、看見有兩艘大船從岸邊向自己駛來(昼間、岸辺から2隻の大きな船がこちらに向かってきた)」と記録しています。これらの船はただの船ではなく、大量の食料を運んできたもので、これには驚きました。
食料の供給が増えているという事実に、馬戛爾尼は感謝の意を示し、その供給量が以前の登州で受け取ったものよりも多かったことを述べています。これは、訪問先での外交活動が進むにつれて、供給される物資や食料の重要性が増していることを示唆しています。
まとめ
馬戛爾尼の中国訪問における礼品の準備は、外交における細やかな配慮と礼儀を反映したエピソードです。乾隆帝への贈り物は格式の高いものであり、小官への贈り物も慎重に選ばれるべきでした。馬戛爾尼は、その場の状況を考慮し、品物をうまく使い分け、適切な対応を行いました。このような対応が、当時の外交における重要な要素であったことが分かります。
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